3.11のあの日、私は何をしていたか(未来へのメッセージ)

3月11日のあの日、私は塾で講師をしていて教室にいました。

資料を取ってこようと立ち上がり、階段の踊り場に出たときに、ふと生徒の落とし物に気が付き、腰をかがめたところにあの地震が起こりました。

そのとき階段の上で「ガラン」というけたたましい音がしました。

「何事か!」と思う間もなく、目の前に消火器が落ちてきました。
あと、数歩ずれていれば。あのまま教材を取りに行っていれば…。

もしあの時「生徒が落とし物をしていなければ」、私の命はあの日に終わっていたのです。

私は教育業の末席に身を置かせていただいて今年で17年となり、あの日からは10年が経過しようとしています。その間には、さまざまなことがありました。東日本大震災で親類や親友を亡くした生徒さん、原発事故をきっかけにイジメにあって気持ちがふさがってしまった生徒さん、また、つい前日まで元気に夢を語っていたのに不慮の事故で急死してしまった生徒さん…。当たり前の日常が、次の瞬間には当たり前でなくなることということは、これはもうよくあることなのです。

それほどまで命は「はかない」ものです。

今、周囲ではコロナウィルスによる自粛ムードや原油価格の下落による景気の急激な悪化から経済にも多大な影響が生じています。経済が急激に冷え込むと、どうしても未来への不安から気持ちも冷え込んでいきます。世界では暴動や買占め、また喧嘩や無ぼうな行動なども見られます。

先行きが不安という声が大きいですが、そもそも人間は一瞬一瞬が次どうなるかわからない局面の中で生きています。明日、未曽有の大震災が起こるかもしれませんし、次の瞬間には全く考えもつかない予想外のことが起こるかもしれません。すぐ先の未来など、そもそもずっと暗いままなのです。

しかし、歴史を紐解いてみれば、冷害による飢饉やペスト、石油危機、そして世界大戦など、今まで人間は、そういった危機を幾度も乗り越えて今まで生き抜いてきています。だからこそ人間は「学ばなければなりません」。人間には「理性」が備わっています。知識を蓄え、それをどう活用していくのか、本能を理性でもって制御することができる。それが人間が今日まで「生きながらえてきた」最大の武器なのです。「なぜ人は学ばなければならないのか」という答えがここにあります。

多くの犠牲の上に成り立った知恵や知識、文明や文化を体系化したものが今、みなさんが勉強している「学習」です。だからこそ、こういう時こそ本を読み、学習を深め、生き抜く力を身に着けていってください。

それがしたくてもできなかった、多くの犠牲の上に、私たちは「生かされている」のですから。

最後になりましたが、東日本大震災で亡くなられた方に追悼の意を表すとともに、まだなお苦しみの中におられるかたに深いお見舞いの気持ちとできる限りのエールを送りたいと思います。

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